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卒業証書


今、日本では卒業シーズンですね。

15年以上もの間、埃をかぶってクローゼットの中にあった大学の卒業証書を初めてオフィスに飾りました。

私は約20年も前に、単身でニュージーランドの大学に留学をしに行きました。その当時、今もそうかもしれませんが、国立の大学7つのうちのハミルトンという街のワイカト大学に入学しました。あまりにも田舎で、単一民族主流で、アジア人等はあまりいなく、誰も知っている人もいなくとても心細かったです。勉強も本当に大変でしたし、そのような悲観的な心理状態だった為、何度となく差別的な扱われ方をしたのを覚えています。今となっては、あのような自分の勉強の為だけに、没頭して、時間を過ごせた時間がとても貴重な事だったと思います。

2年目より国で一番大きい街のオークランドという街のオークランド大学に編入し、そこで、文学部教育学科を卒業しました!教育と女性学、教育と心理学、教育と子供の発達等なと、教育学についてみっちり学び、今では血となり肉となっています。試験は1教科3時間の論文をその場で書き上げなければならず、文章を書くのが苦手だった私は本当に辛い時でした。

大学を卒業してからは、オークランド教育大学(現在はオークランド大学になりました)に一年通いpost graduate diploma in Teaching Secondary Schoolを取得しました。Secondary Schoolとは中高等学校の事です。1年間に沢山の現地の学校に教育実習にいき、その学校で経験した事などのレポートを書き上げ色々な学びを得ました。
ニュージーランドでは暗記で勉強するという事はなく、体全てで体験して、それが自分の物となり、理解して、学びます。勉強や学ぶ事が楽しいと初めて気が付きました。

今、この卒業証書を15年以上ぶりに初めて飾り、喜びと満足感、達成感を味わっています。

人は、自分が達成する事、未完の課題に意識がいき、せっせと取り組み、達成してしまった事に対して、すぐ忘れがちなようです。私もその一人だったのような気がします。
まるで回し車のなかでクルクル終わりのなくまわっているネズミ(ラットレース)のように。未完の課題が終わったら、又次へ、そして、又次へと。。終わりがなく、忙しく足が地についていないように。。

かといって、自分が情熱をもって達成する事をやめろという事では決してありませんので、お間違えなく。
多くの人々は自分がまだまだ至らないという概念から、あれもやって、これもやってときりがなく、続けています。いつまでたっても終わりがありません。
研究者のツァイガルニクは、人は一旦課題が完了すると、どこかで満足し、次に注意を移します。課題が完了するまで、私達には緊張体系が築かれると説明しています。

私はこれを達成して初めて、自分がある。と、未来を追うばかりではなく、現在の自分のこのひと時に意識を向けてみましょう。
未だ、達成していない課題に意識するのを一旦やめ、一度、自分が達成した事に意識をしてみるのはいかがでしょうか?ストレス、緊張体系から解放されるはずです。


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